川久保智晴
(かわくぼともはる)

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学生時代は寡黙だったはずが、社会人ともなるとしゃべらないわけにはいかず、おしゃべり好きとなりました。授業でも興に乗ると参考書にない貴重な話をたくさん聞けるかもしれません。

2010年に世田谷プログラミング教室を立ち上げご支持を得るも福岡へ引っ越し後、ネットのみの授業を行う。とはいえ対面形式で教わりたいという要望が高まり2016年5月「haruプログラミング教室」を開くことになる。以下にさらりと自己紹介。

誕生-大学

誕生時に天地鳴動するようなことは一切起こらず、秘話もなし。平凡な家庭の3男。

小学生時代、父に買い与えられたパソコンでBASICに出会い・・・なんて逸話も一切なし。貧乏な家庭で育ち、おにぎりに具を入れることを知った遠足は忘れもしない。

今思うと変わった子供だった。お菓子やおもちゃに興味がなく、1日10円の小遣いを貯めに貯め、小学5年の頃、「ラジオ工学」の通信講座を受ける。父が不憫に思ったのか壊れた真空管ラジオをもらってきてくれた。何も工具がなかったので組み立てることはなく、ひたすら分解。本来、頭にイメージすることは得意としており、どういう仕組みで動いているかほぼ理解した。

1987年九州大学理学部卒業

卒業論文でのトランスポゾンの競争戦略シミュレーションがきっかけとなりプログラミングに目覚める。

1987-2000

就職面接では人工知能の研究を約束されるも、約束した研究所所長と役員が異動となり、入社後、約束が反故される社会人波乱の幕開け。挫折ではない。「転んだら転んだなりの人生がある」という私が勝手に作った座右の銘に従って生きる覚悟をする。

IT業界が面白いと思ったのは先端の技術は当然として、多くの人に出会えたこと。流通・金融・行政(特に中央省庁)など。大いに戦い、時たま休戦し飲みに行くということを繰り返す。多様な業界のシステム構築に関与。

1990年代に出たPythonやJavaをひそかに勉強し、転職の機をうかがう。「Java?ばかじゃないの?」という暖かい言葉に励まされつつ、ビッグウェーブを待つ。

ロボット画像

2000-2011

転職。Pythonを使ったシステム構築を夢見ていたが、Javaが思った以上の盛り上がりを見せ、想像以上のビッグウェーブに乗ることに成功。当時、Javaを熟知している者が少なかったということもあり、ソフトウェアのみで100億円を超えるプロジェクトをはじめとしてビッグプロジェクトのソフトウェアアーキテクトとして数多く活躍。みなさんが日常で使用されているものにも私がグラウンドデザインしたシステムがあります。万を超えるクラスが頭の中で構成され、システムが生き生きと動く様子をイメージすることができる特技があることを発見。真空管ラジオに感謝。

この頃、Webマガジン等に多く執筆

2011-2015

どうしても自分の手で作りたいシステムがあり、会社生活から離脱。とはいえ、食ってゆくためにプログラミング教室を開く。教育も思った以上に楽しいことに気づく。熱心に指導するうち、グーグル、AWS(Amazon Web Service)、IBMに就職する学生を輩出。

この当時、今はなきリクルートのマッチングサービス「おしえる・まなべる」にも先生登録し、2013年から3年間、1万人いるIT関連の先生の中で第1位の座を譲らず。2015年あたり、先生たちがマッチング料金支払を嫌がるのを見て、教室に専念することを決意。「おしえる・まなべる」も長くはないと予見し、教室に出来そうな物件を博多駅周辺で調査。

2016-

予見していた通り「おしえる・まなべる」が閉鎖されるという状況と、問い合わせ・受講希望者が多く、マンツーマンでは追いつかなくなり、福岡で教室を開くことを決意。作りたいシステムを少しずつ作りつつ、人材育成に燃える。(Skypeでのマンツーマン授業も引き続き募集中)。で、今ここ。

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